大判例

20世紀の現憲法下の裁判例を掲載しています。

千葉地方裁判所 昭和36年(ワ)85号 判決

判   決

原告

金家啓治

(ほか三名)

右原告四名訴訟代理人弁護士

須賀利雄

被告

村越ツヤ

右訴訟代理人弁護士

室山智保

右原告金家啓治、同ハルノと被告間の昭和三三年(ワ)第二二四号慰籍料等請求並に右原告鈴木一弥、同晶子と被告間の昭和三六年(ワ)第八五号慰籍料請求併合事件について、当裁判所は、次の通り判決する。

主文

一、被告は、原告金家両名に対し、金二三六、四〇〇円及び之に対する昭和三三年九月六日からその支払済に至るまでの年五分の割合による金員を支払はなければならない。

二、被告は、原告鈴木両名に対し、金三〇〇、〇〇〇円及び之に対する昭和三六年五月六日からその支払済に至るまでの年五分の割合による金員を支払はなければならない。

三、原告金家両名及び同鈴木両名のその余の請求は、孰れも、之を棄却する。

四、訴訟費用は、之を五分し、その二を原告等全員の連帯負担、その余を被告の負担とする。

事実

原告金家啓治及び同ハルノは、

被告は、原告等に対し、金五三六、四〇〇円及び之に対する本件訴状が被告に送達された日の翌日からその支払済に至るまでの年五分の割合による金員を支払はなければならない。訴訟費用は被告の負担とする旨の判決並に仮執行の宣言を求め、尚、本訴請求は、原告両名の共同請求であつて、原告両名の各自請求ではないと釈明し、

原告鈴木一弥及び同晶子は、

被告は、原告等に対し、金五〇〇、〇〇〇円及び之に対する本件訴状が被告に送達された日の翌日からその支払済に至るまでの年五分の割合による金員を支払はなければならない。訴訟費用は被告の負担とする旨の判決並に仮執行の宣言を求め、尚、本訴請求は、原告両名の共同請求であつて、原告両名の各自請求ではないと釈明し、

その各請求の原因として、原告等は

一、市川市千足農業協同組合(被告居住地区の農家をその組合員とする組合)は、市川市の指示に基き、昭和三二年二月一二日、同組合地区内に於て、野鼠の一勢駆除を実施した。この一勢駆除は、右組合に於て、毒物指導員の指導の下に、毒物モノフルオール酢酸ナトリウムを主成分として製剤された強力殺鼠剤であるフラトール(毒物)を混じて、毒餌を作製し、之を各組合に分配交付し、各組合員に於て、一勢に之を田畑に仕掛け、之を実施したものである。

二、而して、右一勢駆除に使用した毒餌は、右組合が、右当日同組合の副会長訴外石井誠方に於て、毒物指導員訴外鈴木仙三指導の下に、甘藷九貫匁をうでてつぶし、之に米糠七升、魚粉五合とフラトール九〇〇瓦(一ビン一〇〇瓦入のもの九ビンを使用)とを混じて、ねり合せ、之を作製し、各組合員に分配交付する必要上、その全量をほぼ等分に分割して、(但し、目分量を以て)、三五個のダンゴ状の塊(以下、之を毒ダンゴと云ふ)となしたものである。而して、右組合は、右当日、各組合員に右毒ダンゴを一個宛交付したのであるが、若干の不参加者があつたため、右毒ダンゴは、若干の残物を生じた。尚右毒ダンゴ一個の目方は約三〇〇匁位、その大きさはほぼ夏みかん大であつたものである。

三、而して、被告は、右組合の組合員である夫に代つて、右一勢駆除に参加し、右毒ダンゴ一個の交付を受けて、その仕掛けを為し終つたものであつて、同日午後三時頃、訴外石井俊雄、同石井きぬ、同清水力蔵の三名と共に、前記副組合長方にその旨の報告に赴いたのであるが、その際、同人方に前記毒ダンゴの残物があつたので、家鼠の駆除に使用する為め、右残物の中から、右石井俊雄は、一個を、被告は、一個の約半分位(約一五〇匁位)を又、右石井きぬは、被告が貰ひ受けた分の残半分の内から約半分位を貰ひ受けて、(右清水力蔵は貰はなかつた)、夫々、自宅に持帰り、(孰れも、新聞紙に包んで持帰つたもの)、右石井俊雄及び右石井きぬの両名は、帰宅後、直ちに、その各処分を了したのであるが、被告は、その処分も為さず、又、家人に右毒ダンゴを持ち帰つたことを知らせることも為さないで、右持帰つた毒ダンゴを、そのまま、自宅物置(旧馬小屋)内の左側入口寄りにある棚の上にあつたミノの上に置いて、之を隠し置き、(新聞紙に包んだままで)、そのまま仕事に出た為め、右毒ダンゴを右棚の上のミノの上に置いたことは、全く、之を忘却し、その結果右毒ダンゴは、右棚の上のミノの上に置かれたままの状態で同月十四日まで放置されるに至つた。

四、その為め、右毒ダンゴは、同月一三日午前中、被告の四男増雄(当五年三月)、被告の近隣に住む原告金家両名の四女松子(当六年九月)、同原告鈴木両名の長男豊(当四年八月)によつて発見され、(発見した者は、右三名の内の一名か若くは一名乃至三名)、同人等は、その約半分位を取出し、(取出した者は、右三名の内の一名か若くは一名乃至三名が協力して)、之を右三名で分配し、誤つて、之を食するに至り、その結果、右三名は、フラトールの中毒を受け、右増雄は同日午後四時二五分頃、右豊は同日午後八時五五分頃、右松子は翌一四日午前三時頃、夫々死亡(フラトール嚥下による中毒死)するに至つたものである。

五、右毒ダンゴは、前記薬剤を混入して作製された毒物であつて、人の生命、身体に危害を及ぼすものであるから、その様な危害の生ずる虞のない様に深甚なる注意を以てその取扱を為さなければならないものであるところ、被告が、右毒ダンゴを隠し置いた前記物置(旧馬小屋)は、被告家の農機具類の置物であつて、毎朝その戸を開き、日中は開放しのままにされて居り、而もその前は庭で、被告家の子供や近隣の子供等の遊び場になつて居たのであるから、子供等が右物置に出入するのは自由自在であり、従つて、右毒ダンゴを右物置内に隠し置くことは、子供等が之を発見して食する危険の度合が甚だ高いのであるから、右毒ダンゴを右物置内に隠し置くことは、之を避けるべきであつたに拘らず、被告は、この様な点に何等の注意も払はず、漫然、右毒ダンゴを右物置内の前記場所に隠し置き、又、右毒ダンゴは、前記の様な毒物であつて、自宅に持帰ることは之を禁ぜられて居るものであるから、それを自宅に持帰つた以上、このことを家人に知らせ、之に触れることのない様に注意を与へ与くべきであつたに拘らず、被告は、家人にそれを持帰つたことを秘し、漫然、右物置内の前記場所に之を隠し置き而も、被告は、右場所に右毒ダンゴを隠し置いたことを忘却して、そのまま之を放置し、その為め、前記結果が発生するに至つたのであるから、前記結果の発生については、被告に重大な過失があり、従つて、被告は、右結果が発生したことによつて生じた損害の賠償を為すべき責任のあるものである。

六、而して、右松子は、原告金家両名の四女、右豊は、原告鈴木両名の長男として、孰れも、その両親の寵愛をその一身に受けて居たものであるから、原告等は、その不慮の死によつて、孰れも、奈落の底に突落された様な状態に陥り、精神上甚だしい苦痛を受けたので、被告は、この苦痛を慰籍する為め、原告金家両名及び原告鈴木両名に対し、夫々、金五〇〇、〇〇〇円宛の支払を為すべき義務があり、又、原告金家両名は、右松子の葬式費用の一部として金三六、四〇〇円の支払を余儀なくされて、それと同額の損害を受けたので、被告は、原告金家両名に対し、その賠償をも為すべき義務のあるものである。

七、仍て、被告に対し、原告金家両名に、金五三六、四〇〇円及び之に対する本件訴状が被告に送達された日の翌日からその支払済に至るまでの年五分の割合による損害金の、原告鈴木両名に、金五〇〇、〇〇〇円及び之に対する本件訴状が被告に送達された日の翌日からその支払済に至るまでの年五分の割合による損害金の、各支払を命ずる判決を求める。

と述べ、

八、尚、被告は、本件に関し、毒物及び劇物取締法違反並に過失致死罪によつて、昭和三二年一一月二二日、市川簡易裁判所に起訴され、同月三〇日、略式命令を以て、罰金三〇、〇〇〇円に処せられ、同裁判は、同年一二月二八日、確定し、被告は、翌三三年三月二〇日までに、右罰金を完納したものである。

と附陳し、

更に、最終口頭弁論期日に於て、事実関係について、別紙書面第一記載の通り、主張並に意見の陳述を為し、

立証(省略)

被告は、

原告等の各請求を棄却する、訴訟費用は原告等の負担とする旨の判決を求め、答弁として

一、請求原因第一項の事実は之を認める。

二、同第二項の事実は、毒餌が一勢駆除の行はれた日に、副組合長訴外石井誠方で、毒物指導員訴外鈴木仙三指導の下に、組合によつて、甘藷その他を材料とし、之にフラトール液を混じ、之をねり合せ作製されたものであること、そしてその全量が分割されて、多数の毒ダンゴが作られ、各組合員に一個宛分配交付されたこと、及び若干の不参加者が出た為め、それに若干の残物が生じたことは、之を争はないが、甘藷以外の材料の種類、及び各材料とフラトール液の使用量、並に作られた毒ダンゴの個数は不知、又、一個の毒ダンゴの目方及び大きさが原告等主張の通りであつたことは、之を争ふ。

右毒ダンゴ一個の目方は約一二〇匁乃至一三〇匁位、大きさは直径一〇センチ位であつたものである。

三、同第三項の事実は、被告が自宅に持帰つた毒ダンゴの量が原告等主張の通りであつたこと、及び訴外石井俊雄が帰宅後直ちにその持帰つた毒ダンゴを処分したことは、共に、之を争ふ、又、訴外石井きぬが原告等主張の量の毒ダンゴを持帰り、帰宅後直ちにその処分を為したことは、不知、その余の事実は、之を争はない。

被告が持帰つた毒ダンゴの量は約六〇匁である。

四、同第四項の事実は、原告等主張の子等が被告の持帰つた前記毒ダンゴの一部を取出し食したこと、及び右子等の死因がフラトール嚥下による中毒死であることは、共に之を否認する。

仮に、その死因がフラトール嚥下による中毒死であるとしても、被告の持帰つた右毒ダンゴがその中毒死の原因であることは、之を否認する。

右三名の子等は、被告の持帰つた右毒ダンゴの一部を取出し食したことはない。従つて、右毒ダンゴが右中毒死の原因となると云ふことはあり得ないところである。

仮に、右三名の子等が右毒ダンゴの一部を取出し食したとしても、右三名の子は、之を三名にて分配して食したものであるところ、右程度の量を食したのでは致死量には達しないものであるから、右毒ダンゴの一部を嚥下したことは中毒死の原因とはならないものであり、従つて被告の持帰つた右毒ダンゴは、右三名の子の死因とは無関係のものである。

その余の事実は、之を認める。

五、同第五項の事実は、之を否認する。

被告が前記毒ダンゴを置いた物置は、農機具置場であつて、危険であるばかりでなく、中は昼間でもうす暗く、為めに、子供等の全く出入りしない場所であり、又、被告が右毒ダンゴを置いた個所は、幼児の収出不可能な個所であるから、被告が右場所に右毒ダンゴを置いたことは過失にはならないものである。

六、被告が、原告等主張の頃、その主張の裁判所に、その主張の罪名で起訴され、その主張の頃、略式裁判で罰金三〇、〇〇〇円に処せられ、同裁判が確定し、被告が原告等主張の頃までに、右罰金全額を完納したことは、之を認めるが、右裁判は、警察に於ける苛酷な取調によつて為された被告の虚偽の自白に基くものであつて、その認定事実は、真実に反するものであるから、被告に於て、当然に、不服の申立を為すべきものであつたのであるが、当時、被告は、愛児の不慮の死によつて、甚だしい精神上の打撃を受けて居た上に、警察に於て、苛酷な取調を受けた為めに、心身と共に全く疲労困憊し、その上、世間の見る目は冷く、一時は生きる気力さへ失へかけた様な状態にあつた為め、不服を申立てる気力もなく、又、罰金さへ納めれば、右の様な状態から逃がれ得ると考へられたので、不本意ではなかつたが、右裁判を確定させて、罰金を納めた次第であつて、事実が右裁判に於ける認定事実の通りであることを承認して、右裁判を確定させたものではない。右裁判に於ける認定事実は、元々、右の通り、真実に反するものであるから、右裁判が確定して居るからといつて、事実が右裁判に於ける認定事実の通りであるなどとは到底云ふことの出来ないものである

と述べ、

更に、最終口頭弁論期日に於て、事実関係について、別紙書面第二記載の通り、主張並に意見の陳述を為し、

立証(省略)

理由

一、市川市千足農業協同組合(被告居住地区をその地区とする組合)が、市川市の指示に基き、昭和三二年二月一二日、その地区内に於て、野鼠の一勢駆除を実施したこと、その一勢駆除は、モノフルオール酢酸ナトリウムを主成分として製剤された強力殺鼠剤である毒物フラトールを混じて、毒餌を作製し、之をその組合員に分配交付し、各組合員に於て、一勢に之を田畑に仕掛け、之を実施したものであること、及び右毒餌は、右当日、右組合が、その副組合長訴外石井誠方に於て、毒物指導員訴外鈴木仙三指導の下に、之を作製し、その全量を分割して、毒ダンゴとなし、右当日、之を一個宛各組合員に交付したものであること、但し、若干の不参加者が出た為め、右毒ダンゴに若干の残物が生じたこと、並に被告が、組合員である夫に代つて、右一勢駆除に参加し、右毒ダンゴ一個の交付を受けて、それを仕掛け終つたものであることは、孰れも、当事者間に争のないところである。

二、右毒餌が、甘藷九貫匁をうでてつぶし、之に米糠七升、魚粉五合と前記殺鼠剤である毒物フラトール九〇〇瓦(一ビン一〇〇瓦入のもの九ビン)とを混じてねり合せ、作製されたものであること、及びその全量が目分量で大体等分に分割され、三五個の毒ダンゴが作製されたことは、証人(省略)の証言によつて、之を認定することが出来る。(中略)他に、右認定を動かすに足りる証拠はない。尚、右(省略)の証言によると、右毒餌及び毒ダンゴの作製については、前記副組合長の長男訴外石井照男が、右指導員の指導の下に、その作成の衝に当つたものであることが認められる。

三、被告が、右同日午後三時頃、組合から分配交付を受けた前記毒ダンゴ一個を仕掛け終り、訴外石井俊雄、同石井きぬ、同清水力蔵の三名と共に、前記副組合長方にその旨の報告に赴いたこと、(その際、被告は、右毒ダンゴを仕掛ける為めに使用した箸代りの木の棒二本と右毒ダンゴを包んだ新聞紙とを組合に返還する為め、右木の棒を右新聞紙に入れて、持参して居たことが、成立に争のない乙第一、二号証によつて認められる。尚、右乙第一号証には、右新聞紙の中には右毒ダンゴの仕掛け残りが若干あつた旨の供述記載があるのであるが、同号証の他の部分の供述述記載によると、右新聞紙で右毒ダンゴを包んだ為めに、右新聞紙に若干の毒ダンゴの附着物が生じて居たに過ぎないものであることが認められるので、その附着物は右毒ダンゴの仕掛け残りとは云い難いから、右毒ダンゴの仕掛け残りが若干あつた旨の右供述記載部分は、措信し難いものである)、及びその際、前記毒ダンゴの残物の中から、右石井俊雄が一個を、被告が一個の約半分位を、右石井きぬが一個の約四分の一位を夫々貰い受けて、之を自宅に持帰つたこと、(但し、右清水力蔵のみは之を貰受けずに帰つた)、並に被告が右貰い受けた毒ダンゴを前記新聞紙に包んで持帰り、それをそのまま、自宅物置(旧馬小屋)内の原告等主張の個所に置いたことは、当事者間に争がなく、又、被告が右毒ダンゴ右個所に置いて仕事に出た為め、右毒ダンゴを右個所に置いたことは、全く、之を打忘れ、その結果、右毒ダンゴは、右個所に置かれたままで翌々一四日まで放置されて居たことは、弁論の全趣旨に照し、被告の明かに争はないところであると認められる。

尚、証人(省略)の証言によると、右毒ダンゴを自宅に持帰つた者は、右三名以外にはなかつたことが認められ、之を覆えすに足りる証拠はないのであるから、右毒ダンゴを自宅に持帰つた者は右三名のみであると認定する。

四、原告等主張の三名の子が、夫々、原告等主張の日時頃に死亡したこと、並に右三名の子の死亡時の年令、性別及び原被告等に対する身分関係が原告等主張の通りであることは、当事者間に争がなく、又、右三名の子の死因が、孰れも、前記毒物フラトールの嚥下による中毒死であることは、(証拠―省略)と(証拠―省略)によつて認められるところの、右三名の子の発病の時刻及び死亡の時刻が相前後して居ること、発病時及びその後に於ける経過並に諸症状が互に全く相類以して居ること、発病時から死亡時までの経過時間が、孰れも、極めて短時間であつたこと等の事実のあることによつて、右三名の子の死が同一の原因に基くものと推測されること、又、(証拠―省略)によつて認められるところの、右三名の子の中の一人である金家松子の死体が、千葉大学医学部法医学教室に於て、解剖に附され、その解剖所見と、同教室に於て為したフラトールの投与による動物実験の結果による解剖所見とか、殆んど一致して居ること、右死体の胃腸内からフラトールの主成分であるモノフルオール酢酸ナトリウムが検出されたこと、右解剖を行つた右大学医学部助教授医師訴外宮内義之介の右解剖所見に基く右死体の死因についての意見がフラトールの嚥下による中毒死であること等によつて、右金家松子の死因が、フラトールの嚥下による中毒死であると認められること、更に、右三名の子が発病した日の前日に、前記認定の通り、野鼠の一勢駆除が行はれ、之に殺鼠剤として毒物フラトールが使用された事実のあること、及び(証拠―省略)によつて認められるところの、右三名の子が発病した日の午前八時過ぎ頃、右三名の子が、被告家入口前の道路の左筋向辺にあつた消防小屋前附近で、赤い色のジヤム・サンド様のものを食して居るのを、死亡した村越増雄の姉訴外村越照子が見かけた事実のあること、右フラトールは、紅色に着色された液状の薬剤であることが、乙第四号証の二(フラトールの製造元である三共株式会社が発行したフラトールに関するパンフレツトであつて、当裁判所は、その印刷形式並にその記載内容によつて、その真正の成立を認める)によつて認められるので、それを混じて作製された前記毒ダンゴは若干赤みがかかつて居たものと認定し得るものであるところ、証拠調の結果によると、右三名の子が発病する以前に、同人等に、ジヤムサンドその他の菓子を与へたものは全然なく、又、原被告宅附近にはその様なものを売つて居る店は全然ないことが認められるので、右三名の子が右時刻頃に食して居たジヤム・サンド様のものは、前日に野鼠の駆除の為めに作製されたフラトール入の毒ダンゴであつたと推測され得ること等を綜合して、之を認定することが出来るのであつて、この認定を動かすに足りる証拠はない。

五、而して、右三名の子の死因がフラトールの嚥下による中毒死であると認められる以上、右三名の子は、フラトール液自体若くは之を混じたものを嚥下したものであると云はざるを得ないものであるところ、前記認定諸事実と証拠調の結果とによると、フラトール液自体を嚥下すると云ふことは、全くあり得ないところであると認められるので、右三名の子は、フラトール液を混入したものを嚥下したものと云はざるを得ないものであり、而も、前記認定の諸事実と証拠調の結果とによると、フラトール液を混入したものは、右三名の子が発病した前日に野鼠の駆除の為めに作製された前記毒ダンゴ以外には存在しなかつたものと認められるので、右三名の子は、右毒ダンゴを食し、之を嚥下したものであると断ぜざるを得ないものである。

六、仍て、先づ、右三名の子が何時之を食して嚥下したかについて按ずるに、原告鈴木一弥方は、被告方の東隣、訴外皆川美代志方は、その又東隣で、夫々別紙見取図々示の位置にある(この点は第一回検証の結果によつて之を認める)ものであるところ、証人(省略)の証言によると、一三日午前八時一〇分前頃、村越増雄、金家松子、鈴木豊、鈴木悟(原告鈴木両名の子で、鈴木豊の弟)の四名が、右皆川美代志方に遊びに来て、(同人の子皆川俊雄は右四名の子の遊び友達である)、同人方前庭で、約一〇分位遊んだ後表道路に出て、右に曲つて行つたこと、(皆川俊雄はそのまま残つて右四名とは行動を共にしなかつた)、そして、それから間もなく、右鈴木悟が兄の豊に泣かされたと云つて帰つて来たことが認められ、又、被告本人の供述(第一、二、三回)によると、右増雄は、同日午前七時五〇分頃、右皆川俊雄の許に遊びに行くと云つて、被告方を出たことが認められ、更に、原告鈴木晶子の供述と成立に争のない甲第一二号証とによると、右鈴木豊と鈴木悟の両名は、同日午前七時三〇分頃朝食を終り、間もなく表道路の方に遊びに出て行つたこと、それから暫くして、右増雄が遊びに来たが、右両名の子が表道路の方に出て遊んで居る旨を知らせると右増雄も表道路の方に出て行つたこと、そして、その後、間もなく、右悟が泣かされて一人で帰つて来たこと、及び右悟のみは、身体に何等の異状もなく、その後、全く、無事であつたことが認められ、以上の認定を動かすに足りる証拠はなく、以上認定の事実によつて之を観ると、右増雄は、一三日午前七時五〇分頃自宅を出て、原告鈴木方に赴き、そこで、右豊及び悟の両名が表道路に居ることを聞かされて、右鈴木方から表道路に行き、ここで、右豊及び悟と一しよになり、この前後に前記松子が之に加はり、四名して前記皆川方に遊びに行き、ここで約一〇分位遊んで、又、四人で表道路に出て行き、その後、間もなく、右悟が一人で自宅に帰つて来たものであると認められ、而も右悟は無事であつたのであるから、同人は、前記毒ダンゴを食して居なかつたものであると認定する外なく、従つて右毒ダンゴを食して之を嚥下したのは、右悟を除くその余の三名の子であると云はざるを得ないものであつて、この点から事を見ると、右三名の子は、右悟が帰つた後に之を食して嚥下したか、若くは之を右悟に分与しなかつた為め、右悟が泣いて一人で先に自宅に帰り、残つた右三名で之を食して嚥下したかの何れかであると認めるのが相当であると認められるから、右何れであるにしても右三名の子が右毒ダンゴを食して嚥下したのは、同人等が前記皆川方から表道路に出た後のことであつたと認定するのが相当であると認められる。而して、この事実と、前顕証人村越照子(第一、二、三回)の、自分は、一三日の午前八時過ぎ頃附近に住む友達の訴外皆川房子と共に登校する為め、同人方に同人を誘ひに行かうとして、自宅の門口を出たところ、筋向の消防小屋(現在は取払はれて存在しない)の前附近で右三名の子が赤い色のジヤム・サンド様のものを食して居るのを見た旨の証言と、前記認定の毒ダンゴが赤みがかかつて居たと認められる事実とを照し合せて考察すると、右三名の子が前記毒ダンゴを食して居た事実と右証人の目撃した事実とは完全に一致するのであるから、右三名の子は、右証人が目撃した時刻頃に、その目撃した場所に於て、右毒ダンゴを食して、之を嚥下したものであると認定しなければならないものである。

尚、右時刻が午前八時何分過ぎであつたかについて按ずるに、前記四名の子等が、右皆川方から表道路の方に出て行つたのは午前八時前後頃であつて、その後若干時間を経過した後右悟が一人で帰つて来た事実があるのであるから、前記村越照子が目撃したのは右悟が帰つた後のことであつたと云はなければならないものであり、従つて、右四名の子等が右皆川方を出て行つてから、右村越照子が右三名の子を見た時までの間には、若干分の時間が経過して居たことは明白であつて、それが何分間を経過して居たかは確定し得ないのであるが少くても、午前八時を若干分過ぎて居たことは確実であると云ひ得るから、右時刻は、午前八時を若干分過ぎた頃であつたと認定するのが相当であると認める。

七、次に、問題となる点は、右三名の子の食した右毒ダンゴは、一体、何処から取出されたものであるかと云ふ点である。この点は、本件に於ける争点の主たる部分であつて、弁論の全趣旨に従つて、原告等の主張を分柝して見ると、この点に関する原告等の主張は、被告が自宅に持帰つた毒ダンゴの量は約一五〇匁位であつたに拘らず、残存して居た右毒ダンゴの量は約六〇匁位であるから、その差量に相当する部分は紛失したものであると云はなければならないものであつて、この事実に、被告が残存毒ダンゴを埋没隠匿した事実(中略)と成立に争のない甲第四号証に於ける被告の自認的自白の供述記載とを加へると、被告が持帰つて自宅物置内の前記認定の個所に置いた前記毒ダンゴの右紛失部分は、右三名の子によつて取出されたものであると判断し得るから、右三名の子が食した前記毒ダンゴは、被告が持帰つて右個所に置いた右毒ダンゴの右紛失部分であると云はなければならないものであると云ふ主張に帰着するものと認められるので、之について審按すると、以下の通り判定することが出来る。

(1)  被告が前記持帰つた毒ダンゴを自宅物置内の前記個所に置いたまま之を打忘れ、その為め、右毒ダンゴが右個所に置かれたまま放置されて居たことは、前記認定の通りであるところ、被告本人の供述(第二、三回)と成立に争のない甲第四号証(被告本人の警察に於ける供述調書)とによると、被告は、前記増雄が死亡した日の翌日である一四日午前中、来訪した医師の質問によつて、右毒ダンゴを右個所に置いたまま放置して居たことは気付き、直ちに、之を取出し、そのまま、(箸代用の木の棒二本をも入れて新聞紙に包まれて居たものをそのまま)、自宅裏の竹藪に埋没隠匿したことが、又、証人(省略)の証言と成立に争のない甲第六号証(警察官の実況見分調書)と同第五号証(被告の任意提出書)とによると、被告は、本件に関し、警察の取調を受けたのであるが、当初は右事実のあることを秘し、後に至つて之を自白したので、警察官によつて、同月二三日、実況見分が為され、その際、右埋没された右毒ダンゴが掘出され、(右新聞紙に包まれたままで)、証拠品として領置されたこと、及び右掘出された毒ダンゴは、中に入れられてあつた二本の木の棒を除き、右新聞紙に包まれたままで、被告方の秤によつて、その目方が測られ、その結果によると、その目方は六〇匁であつたことが、夫々、認められる。

右事実によると、一四日午前中に右物置内の右個所にあつた右毒ダンゴの目方は、それを包んだ新聞紙の目方を入れて、六〇匁であつたことが認められる。尤も、右毒ダンゴは、約二日間新聞紙に包まれたままで置かれ、その後は、約一〇日間新聞紙に包まれたままで土中に埋没されて居たのであるから、その中に含まれて居た水分に若干の変化(減少又は増加)が生じたであらうと考へられるのであるが、その分は、新聞紙によつて吸収され若くは、新聞紙によつて吸収され若くはそれによつて放散されたと考へられるので、それを包んだ新聞紙の目方を加へて測つたものが、右毒ダンゴの実質量であるとするのが相当であると認められるので、新聞紙に包まれたままで測られた前記六〇匁が前記の日に於ける右毒ダンゴの目方であつたと認定する。

被告は、右毒ダンゴの目方を争ひ、右毒ダンゴの目方が測られた時に使用された被告方の秤は、狂つて居て、不正確のものであつたのであるから、右秤によつて測られた目方は正確でない旨を主張し、証拠として、乙第三号証を提出して居るのであるが、それによつては、右秤に幾ばくの誤差があつたかを認定することが出来ず、他に、之を認定し得るに足りる証拠はないのであるから、被告の右主張は理由がないことに帰着する。

(2)  被告が持帰つた毒ダンゴの目方については、第二回検証の際、前記毒ダンゴの作製に当つた前記訴外石井照男をして、前記毒ダンゴを作製するに際し使用した各材料及びフラトール液(但し、これは水を以て代用)の各三分の一を使用して、右毒ダンゴを作製した場合と同一の過程及び方法を以て、ダンゴを作製させ、その作製された各個のダンゴについて、その目方を実測実験したので、右検証の結果によつて、その目方を認定するのが相当と認められるから、之によつて、その認定を為すと、以下に記載の事実を認めることが出来る。

(イ)  使用材料とその量。

(一) 甘藷 三貫匁

(二) 米糠 二升二合

(三) 魚粉 一合七勺

(四) 水  三〇〇瓦、(フラトール液の代用)。

(ロ)  作製されたダンゴの数。

一一個と三分の二量のもの一個。

右一一個は、前記毒ダンゴが作製されたときと同様に、目分量を以て、大体等量に分割して、之を作製し、三分の二量のものも同様に目分量を以て、三分の二量に分割して、之を作製したものである。

(ハ)  右実測の結果によると、右各個のダンゴの目方は、次の通りである。(但し、頭書の数字は実測した順序を示す)

(一) 二八八匁

(二) 二七〇匁

(三) 三二四匁

(四) 二八六匁

(五) 三〇九匁

(六) 二八二匁

(七) 二七三匁

(八) 二七〇匁

(九) 二七四匁

(一〇) 二六六匁

(一一) 二六五匁

(一二) 二二〇匁

(最後の(一二)は三分の二量のものである。)

(ニ)  而して、右実験の結果によると、三分の二量のものとして作製された右(一二)の一個は、その形が他のものに比し、一見して、著しく小さいものであることが判り、又、その実測の結果によつても、その目方が他のものに比し、著しく少いものであることが明かであるから、之を逆にして、特に、形の大きなものを作製した場合にも、逆ではあるが、右と同様の結果になるものと思料されるので、目分量でダンゴが作製されても特に大きなものや特に小さなものは出来なかつたものと云ふべく、従つて、目分量で等分にしてダンゴを作製した結果は、大体右(一)乃至(一一)程度のものが出来るものと認定するのが相当であると認められるから、前記毒ダンゴが作製されたときも、右(一二)の様な特に小さいものも、又、逆に、特に大きなものも共に出来ず、大体、右(一)乃至(一一)程度の大きさのものが出来たものと認定するのが相当であると認められる。

尚、この点については、右毒ダンゴを作製した前記訴外石井照男が、証人として、右毒ダンゴを作製する際には、大きなものは削つて小さいものにつけ合せて、大体、平均の大きさになる様にしたと証言して居るので、右認定は、右証言に徴してもその相当性が認められるものと思料される。

(ホ)  右の次第で目分量で作製されたダンゴの大きさは大体均等性があり、従つて、右毒ダンゴが作製されたときも同様であつたと推測されること右の通りであるが、右実験の結果によると、その作製された各個のダンゴの目方が、夫々、異なつて居たことは、前記の通りであるから、右毒ダンゴが作製されたときも、その各個のダンゴの目方は、夫々、異なつて居たものと推認せざるを得ないものである。

併しながら、右実験の結果によると作製されたダンゴには、特に大きなもの又は特に小さなものは存在せず、大体前記(一)乃至(一一)程度のものが出来るものと認められること、前記の通りであるから、前記毒ダンゴも大体右(一)乃至(一一)程度の目方のものが出来上つたものと云ふべく、而して、右実験の結果によると、右(一)乃至(一一)のダンゴの大きいものと小さいものとの間には、その目方に於て、約六〇匁の開きのあることが認められるので、右毒ダンゴの場合も、その目方に於て、この程度の開きがあつたものと認定しなければならないものである。

(ヘ)  以上によつて、之を観ると、前記毒ダンゴの各個の目方は、夫々、異なり、最も目方の多いものが一個三二〇匁位、最も目方の少いものが一個二六〇匁位であつたものと推認するのが相当であると認められる。

(ト) 一方、前記(一)乃至(一一)の一一個のダンゴの目方の平均値をとつて見ると、一個について、二八二匁(分以下切捨)となるので、(右一一個の中(六)の一個の目方がこの平均値と符合する)、前記毒ダンゴの目方の一個の平均値も大体この程度のものであつたものと推認され、又、前記実験の結果によると、この平均値を中心として、二七〇匁台のもの四個、二八〇匁台のもの三個で、一一個中七個(約六四%)を占め、他は、三〇〇匁を越えるもの二個、二六〇匁台のもの二個で、一一個中四個(約三六%)であつて、平均値に近い目方のあるものの方が、平均値を離れた目方のものよりも、はるかにその数の多いことが知られるので、右毒ダンゴの場合に於ても之と同様であつたものと推認するのが相当であると認められる。

(チ)  而して、一般に、多数個の中から任意の一個を取出す場合に於ては、類似数のの少いものよりも多いものの一個が取出される蓋然性(確率)が多いのであるから、被告が持帰つた毒ダンゴは類似数の多い方即ち一個の目方が前記平均値に近い方のダンゴ(その約半分位)であつたことの蓋然性が多かつたものと云ふべく、従つて、被告が持帰つた約半分が属して居た一個は、右平均値に近い目方即ち二七〇匁乃至二八〇匁位の目方を有して居たものであると認定するのが相当であると認められる。

而して、被告の持帰つた毒ダンゴが一個の約半分であつたことは、被告本人の供述(第二、三回)によつて明白なところであるから、その目方は、一三〇匁乃至一四〇匁位であつたと認定せざるを得ないものである。

(3)  然るに拘らず、一四日午前中に於て、残存して居た右毒ダンゴの目方は、前記認定の通り、六〇匁であつたのであるから、その目方は、被告が前記毒ダンゴを持帰つたときの目方に比し、約七〇匁乃至八〇匁が減少(約六〇%位の減少)して居たものと認定せざるを得ないものである。

(4)  而して、右毒ダンゴは、甘藷を主たる材料として作製されたものであるところ、生甘藷又はうでた甘藷をうす手に切つて、二月の特に空気の乾燥した時期に空気中にさらして置けば、水分を失つてその量が多量に減少することは、周知の事実であるか、(俗にカンサウイモと云はれるもの若くは切干イモと云はれるものか、この理を利用して作られるものであることは、世間周知のことである)、右毒ダンゴはねつてダンゴにまるめたものであるばかりでなく、約二日間は新聞紙に包まれたままで、その後の約一〇日はそのまま土中に埋められて居たのであるから、乾燥によつて、前記の様な多量の目方の減少が生じたとは到底考へ得られないところであるから、右目方の減少を以て、自然減少であると認めることは、不可能である。従つて、被告が持帰つた毒ダンゴの減少した右目方に相当する部分は、人間若くは動物類によつて取去られたものと観る外に観方はないのであるが、鼠その他の動物が右の様に多量に取去ることはあり得ないところであると思料されるから、右部分は、何人かの手によつて取去られたものであると断ぜざるを得ないものである。

(5)  然らば、右事実と前記認定の前記三名の子が毒ダンゴを食した事実とは結びつくであらうか、換言すれは、右三名の子は、右ダンゴの右取去られた部分を取出し、之を食したものであると認定し得るのであらうか。原告等は、之を肯定し、被告は、之を否定し、原告等の提出した証拠によると之を肯定し得る様に見へるし、又、被告の提出した証拠によると之を否定せざるを得ない様に見へる。仍て、双方提出の全証拠(第一、二回の検証の結果を含む)を綜合して、之を考察すると、左記の通り認定することが出来る。

(イ)  前記三名の子が、前記毒ダンゴを食したのは、同人等が、訴外皆川美代志方を出てから後のことであつたと認められること、同人等がそれを食して居るところは、前記訴外村越照子が之を目撃した事実のあることが認められること、そして同訴外人が、之を目撃した時刻は午前八時を若干過ぎた頃であつたと認められることは、孰れも先に認定したところであつて、而も、(証拠―省略)によると、右三名の子は、右皆川方から出たときまでは、毒ダンゴなどは之を持つては居なかつたものと認められるので、右三名の子は、右皆川方から出た後に於て、その食した毒ダンゴを手に入れたものと認めざるを得ないものであるから、右皆川方から出て右毒ダンゴを手に入れ之を食するまでの間に経過した時間は極めて僅少であつたと云はなければならない。而して子供が短時間に而も数人組んで行動する場合は、その行動範囲は極めて狭い範囲であると認められるので、右三名の子が右毒ダンゴを手に入れるまでに行動し得た範囲は、被告方及びその近隣を含めた程度の範囲に止どまつて居たものであると認定するのが相当であると認められる。(被告の家の前方一帯は道路を隔てて畑となつて居て、人家は存在しない、この点は第一回検証の際、当裁判所が実見したところである。)

(ロ)  而して、被告方の東隣は原告鈴木一弥方、その東隣は前記の通り訴外皆川美代志方、右原告鈴木方前は原告金家啓治方、被告方の西隣は訴外石井俊雄方であつて、被告方の前方及び後方には人家がなく、(以上の点は、第一回の検証に於て、当裁判所が実見したところである)、(その位置関係は別紙見取図の通りである)、原告金家方及び同鈴木方は共に農家ではないから、被告方及びその近隣の中、農家は、被告方、右皆川方及び右石井方の三軒であつて、農家でない家は野鼠の駆除には無関係であるから、それに関係したのは農家である右三軒のみであると認められる、(中略)而して、右皆川美代志、右石井俊雄及び被告は、孰れも、前記野鼠の一勢駆除に参加し、各一個宛の毒ダンゴの交付を受け、それを仕掛け終つたものであつて、(この点は、前記認定の事実と弁論の全趣旨によつて、之を認定することが出来る)、その後に於て、更に、毒ダンゴを自宅に持帰つたものは、右石井俊雄と被告の両名であつて、右皆川美代志は、持帰つて居ないのであるから、(この点は前記認定の通りである)、同人方には毒ダンゴは残存して居なかつたものと認める外はなく、従つて、右一勢駆除の行はれた後に於て、自宅に毒ダンゴを存在したと認められるのは、右石井俊雄方と被告方の二軒だけであつたと認定させざるを得ないものである。

(ハ)  他に、毒ダンゴを自宅に持帰つたものに、訴外石井きぬがあるのであるが、(この点は前記認定の通りである)(証拠―省略)によると、右石井きぬ方は、前記訴外清水力蔵方と同方向にあつて、被告方とは相当離れたところにあると認められるので、同人方は、前記時刻頃に於ては、右三名の子の行動範囲内にはなかつたものと云ふべく、従つて、同訴外人が持帰つた右毒ダンゴは、右三各の子が食した毒ダンゴとは無関係であると認めるのが相当であると認められる。(尚、証人清水力蔵の証言によると、右訴外清水力蔵方には、前記増雄の遊び友達である豊(当五年六月)と云ふ子があつて、右増雄は、前記毒ダンゴを食した後である同日午前八時二〇分頃、右清水方に遊びに行つた事実が認められるのであつて、この事実によると、右増雄は、その時刻前に於ては、右清水方方面には行つて居ないと認められるので、この点から観ても、右認定は、その相当性が認められるものと思料される。)

(ニ)  又、前記副組合長石井誠方は、被告方の西隣三軒目(前記訴外石井俊雄方の西隣の又その西隣)であつて、(この点は、成立に争のない甲第四号証に添付の見取図と証人(省略)の証言とによつて明かである)、一三日午前中に於ても前記毒ダンゴの残物が若干残存して居たことが、証人(省略)の証言によつて認められるのであるが、右(省略)証人の証言によると、同人は、同人方では、一勢駆除の行はれた日である前日の一二日に毒ダンゴの交付を受けなかつたので、翌一三日の午前八時頃、右石井誠方にその交付を受けに行つたのであるが、その際には、誰にも行き会はなかつたことが認められるので、右時刻頃、右三名の子は、右石井誠方には行つて居なかつたものと認められるのであつて、この事実と前記認定の右三名の子の同時刻頃に於ける行動可能範囲とを併せ考察すると、右三名の子が右石井誠方に残存した毒ダンゴを取出す可能性はなかつたものと認定するのが相当であると認められるから、右石井誠方には、一三日午前中、毒ダンゴが残存して居たのではあるが、その毒ダンゴは、右三名の子が食した毒ダンゴとは無関係であると認定せざるを得ないものである。

(ホ)  又、被告方前方一帯は、前記認定の通り、畑であつて、それに前記毒ダンゴが多数仕掛けられたことは、弁論の全趣旨によつて当事者間に争のないところであると認められるのであるが、それを仕掛ける方法は、毒ダンゴを小さくち切つて野鼠の通る穴に入れ、之に砂をかぶせ置くものであることが証拠調の結果によつて認められるので、それ等を取出し食すると云ふことはあり得ないところであると思料されるので、それ等の畑に仕掛けられた毒ダンゴは、右三名の子が食した毒ダンゴとは無関係のものであると云はなければならないものである。

(ヘ)  以上認定の事実によつて、之を観ると、右三名の子の食した毒ダンゴは、被告が持帰つた毒ダンゴか若くは右訴外石井俊雄が持帰つた毒ダンゴの何れかであることに帰着するものであると認定せざるを得ないものである。

(ト)  然るところ、被告がその持帰つた毒ダンゴを自宅物置内の前記個所に置いたまま、之を放置して置いたことは、前記認定の通りであるから、その処置は之によつて明らかであるから、残るところは、右石井俊雄がその持帰つた毒ダンゴが如何に処理したかと云ふ問題だけになるので、この点について審按すると、以下の通り認定することが出来る。尚、右石井俊雄は、前記一勢駆除を終つた後、前認定の一個の毒ダンゴを貰受けた外に、更に、前記四名の者と前記石井誠方に赴く途中に於て、前記訴外石井きぬから仕掛け残りの毒ダンゴ若干(その量を確定し得る証拠は全然ないので、その量は確定し得ない)を貰受けて居ることが、(証拠―省略)によつて知られるので、右毒ダンゴを如何に処置したかについてもその認定を為さなければならないから、この点も併せて認定する。

右二点の処置に関する証拠は、同人の警察に於ける供述を録取した書面である成立に争のない甲第七号証と当公判廷に於ける証人としての供述とがあるだけであるが、それ等相互間には若干の相違があるので、之を検討して見るに、右甲第七号証によると、同人は、警察官の取調に対しては、

「私は貰つたダンゴ(後に貰つた前記認定の一個の毒ダンゴをさす)を家には持帰らず、直ぐに家の裏にある田圃に持つて行き、鼠の出入する様な穴を見付けて、約親指大の大きさにして、これを、五、六個位仕掛け、残りの約半分位を新聞紙に包んで、田圃の真中に投入れて置いて、そのまま帰つて来た。」

と供述したことが認められ、前記石井きぬから貰受けた分の毒ダンゴの処置については、全然触れて居らず、又、当公判廷に於ては、原告等代理人の為した主尋問に於て、

「問、その一個貰つた毒餌(後に更に貰つた毒ダンゴをさす)はその後どう云う風に処分いたしましたか

答、貰つた分はうちの通り向ふにあります肥料溜へ入れましたです。

問、全部ですか。

答、はあ

問、裏の畑へはまきませんでしたか

答、その分は違ふんです、それは自分の苗床へかけようと思つて少し残つた分を道端へ置いておいたんです

問、石井誠さんの家からどの位の距離ですか

答、五〇メートル位です。

問、道端に置いておつたんですね。

答、ええ

問、どんな風な状態ですか、

答、新聞紙に包んでそこに肥料溜がありましたからその脇の草のところに置きました

問、それはどうなりましたか

答、それは田圃へ持つて行つて田圃へ少ししかけて、田圃の道が凍つて居ましたから田圃の中に捨ててしまつたんです。

問、それはその日に処分してしまつたんですか

答、石井誠さんのところから帰つてどこにも寄らずに田圃に入れましたから、」と供述し、被告代理人の為した反対尋問に於て、

問、それは(最初に交付を受けた毒ダンゴ一個をさす)あなたは自分の畑に持つて行つて全部まき終つたですか、

答、自分の畑を一応終りまして、それからよその畑でまき終りました、それでなほ足りなくて石井きぬさんから分けて貰つてまきました。

問、先程あなたは道端にかくしたとか置いたとか云はれましたがそれは誰から貰つたものですか

答、れれは石井きぬさんから貰つたんです。

問、置いた場所はどこですか、

答、石井誠さんの隣家の前の肥料溜のふちです、それは村越ツヤさんも知つて居ります。

問、さうすると石井誠さんよりも村越ツヤさん寄りの方ですか、

答、さうです、

問、それであなたは石井誠さんのところに行つて新に毒餌を貰受けましたね、

答、はい

問、その新に貰受けた一個とあなたが石井きぬさんから貰つて道端に置いた毒餌とは夫々別々に処分したんですか、

答、さうです

問、具体的におつしやつて頂き度いんですが、夫々どう云ふ風に処置されましたか、

答、新に貰つて来た分の大きい方は物置に置いて、それで小さい匿して置いた分を田圃に持つて行つて、二つ三つして穴も判らないしするから田の中に捨ててしまつたんです。」

と供述し、その各供述を夫々真実を述べたものであると仮定して毒ダンゴの処置を認定すると、夫々、異なる処置を為した結果となるのであるが、右甲第七号証と成立に争のない甲第八号証とを綜合すると、右石井俊雄は、同月二二日、警察官の取調を受けたこと、そして、同日、警察官に対し、毒ダンゴ一個目方一八〇匁位のものを任意提出し、それが、証拠品として領置された事実のあることが認められ、而もそれは、同人が之を肥料溜若くは田圃の中から捨てたものを拾ひ出して来たものであるとの証拠は全然なく、却つて、被告代理人の反対尋問に於て答へた持帰つた毒ダンゴ一個は自宅物置に匿して置いた旨の供述と照し合わせると、右任意提出された毒ダンゴ一個は、同人が持帰つて自宅物置に匿し置いた毒ダンゴを任意提出したものと認めるのが相当であると認められるから、被告代理人の反対尋問に於て答へた右持帰つた毒ダンゴ一個は自宅物置に匿し置いた旨の供述は、右証拠によつて裏付けされて居て、真実に符号する供述であると認められるので、右供述部分は真実の供述として、措信し得るものであると認定すべく、従つて、この点に関するその余の供述は措信し得ないものであるから、右真実の供述によつて、同人は、その持帰つた毒ダンゴ一個を自宅物置内に匿し置いたものと認定すべく、又、右部分の供述が真実の供述と認められることによつて、右供述に伴つて為された、前記石井きぬから貰つた分の毒ダンゴは、持帰つた毒ダンゴ一個を物置に匿して置いてから、裏の田圃に持つて行き二つ三つ仕掛け、その残りの分は之を田の中に捨てて仕舞つたと云ふ趣旨の供述も亦真実の供述であると推認するのが相当であると認められるので、同人は、右毒ダンゴ一個を持帰つて之を自宅物置に匿した後、間もなく右石井きぬから貰つた分の毒ダンゴの処分を了したものと認定すべく、従つて、右石井きぬから貰つた分の毒ダンゴは、前記三名の子が食した毒ダンゴとは無関係であるものと認定すべきものであると認められる。

而して、右石井俊雄が、同月二二日に、任意提出して、証拠品として領置された前記毒ダンゴ一個が、同人の持帰つて自宅物置内に匿し置いた毒ダンゴ一個であると認められ、その提出された日に於ける目方が一八〇匁位であつたことは、前記認定の通りであるから、それが、同人の持帰つた日に於けるそれよりも減少して居るか否かを検討して見るに、同人が持帰つた毒ダンゴは、同人が特に選んで小型のものを持帰つたものであることか、右中第七号証に於ける同人の供述記載によつて認められるところ、前記毒ダンゴの中小型のものの目方は、一個二六〇匁乃至二八〇匁位であると推記するのが相当であることは前記認定の通りであるから、右石井の持帰つた毒ダンゴ一個の目方は二六〇匁乃至二七〇匁位であつたと推認するのか相当であると云ふべく、然るところ、それが任意提出された日である同月二二日に於ては、右の通り、一八〇匁位であつたのであるから、その目方に於て、約八〇匁乃至九〇匁(約三〇%位)程度減少して居たものと認定するのが相当であると認められる。

而して、前記認定の事実によると、右毒ダンゴは、同人が自宅物置に匿し置いてからその任意提出を為すまで約一〇日間物置内に放置されて居たものであると認められるところ、うで甘藷の類は、之を二月の乾燥した空気中に放置するときは、水分を失つて著しく目方が減少するものであることは、前記の通り、世間周知の事実であつて、右毒ダンゴは、ねり合せて、ダンゴ状に作製され、且新聞紙に包まれて居たもの(この点は前顕甲第七号証に於ける右石井俊雄の供述記載によつて之を認める)であるとは云へ、そのまま、約一〇日間も、物置内に放置されて居た以上、右水分喪失の現象が当然に発生して居たものと云ふべく、従つて、右の場合は、被告の場合と異なり、(被告の場合は、前記の通り、新聞紙に包まれたままで約一〇日間土中に埋められて居て、右の場合とは全く状態を異にするものである)、約三〇%の目方の減少は、自然現象に基因するものであると認定するのが相当であると認められる。従つて、右石井が自宅に持帰つた右毒ダンゴには紛失した部分はないと云ひ得るから、同人の持帰つた右毒ダンゴも亦前記三名の子が食した毒ダンゴとは無関係であると認めざるを得ないものである。

(チ)  以上に認定の諸事実によつて之を観ると、前記三名の子が食した毒ダンゴに関係のあるものは、結局、被告が持帰つた毒ダンゴ以外にはないと認定せざるを得ないものであつて、而も被告の持帰つた右毒ダンゴは、前記の通り、その一部が取去られて居るものと認められるのであるから、右三名の子が食した毒ダンゴは、右取去られた部分であると認定せざるを得ないものである。而して、それを取去つたものが右三名の子以外のものであることを認めるに足りる証拠は全然存在しないのであるから、右取去られた部分を取去つたものは、之を食した右三名の子であると認定する外はないものである。故に右三名の子は、被告が持帰つた右毒ダンゴの一部である右取去られた部分を取出し、之を食して嚥下したものであると断ぜざるを得ないものである。

八、被告は、右三名の子が被告の持帰つた右毒ダンゴを取出し食したことを極力争ひ、その理由として、別紙書面第二記載の各事実及び経験則のあることを主張し、その幾つかについては、尤もと認められるものもあり、これ等を参酌の上、事実の究明に努めた為め、事実の認定は、難渋を極めたものであるが、全証拠を綜合して考察した結果、客観的事実として認められ得るところの事実は、前記認定の諸事実であると認められるので、当裁判所としては、前記の結論に到達せざるを得なかつたものである。従つて、前記結論に到達することを否定する被告主張の諸事実のあることは、当裁判所としては、之を否定するものであり、又、被告主張の経験則のあることは、必ずしも之を否定するものではないが、前記客観的諸事実のあることによつて、本件の場合は、右経験則に対する例外の場合若くは被告主張の経験則以外の経験則の適用ある場合であると認め得るから、被告主張の右経験則が存在して居ても、なほ、右諸事実のあることによつて、前記の結論に到達し得るものと判定したものである。

尚、被告主張の中、重要と認められるもの若干点については、当裁判所の見解を示して置く。

(イ)  被告は、前記増雄は、同日午前七時五〇分頃自宅を出て、同日午前一〇時三〇分頃、帰宅したのであるが、その間、一人若くは前記豊、松子の両名と共に、被告方の前庭若くは物置前等に姿を見せたことは全くなく、被告もその長女照子も又朝食後から約二時間に亘つて、右庭に於て、そこにある果樹に堆肥を施す作業をして居た長男盛広も、右三名の子の姿も見ないし、声も聞いて居ないのであるから、右三名の子が前記物置内から前記毒ダンゴを取出すと云ふことはあり得ないと云ふ趣旨の主張を為して居るのであるが、被告は、右増雄が家を出てから約一時間位家の中に居て食事の後かたづけ等をして居たことが、被告人の供述(第二、三回)によつて認められるので、恐らくは、その方に注意が向けられ、前庭の物置前などに注意を向けることは忘れて居たであらうと考へられ、又、その頃は、前記毒ダンゴを物置内に置いたことなどは全く打忘れて居たこと、前記の通りであるから、その様なことは恐らくは念頭になかつたであらうから物置に注意を向けることなどはなかつたであらうと考へられるから、子供が前庭や物置などに居ても恐らく気付かなかつたであらうと認められるし、又、長女照子は、午前八時過ぎ頃登校の為め、自宅を出たことは、前記認定の通りであつて、それまでは家の中に居たことが、同人の証言(第一、二、三回)によつて認められ、而も同人が子供等の姿や声に注意すべき何等かの理由のあつたことを認め得るに足りる証拠は全然ないのであるから、同人が右三名の子供の姿や声に気付かなかつたことは、極めて自然であると認められるし又、被告が毒ダンゴを持帰り物置内に隠匿したことは全く家人に秘匿して居たこと、前記の通りであるから、長男盛広は、その様な危険物が物置内にあることなどは全く知らなかつたであらうから、子供達に特に注意を向ける理由などはなく、従つて、仕事に熱中して居た結果、子供等の姿や声に気付かなかつたと云ふ様なこともあり得ることであるから、被告始め、照子や右盛広等が、子供の姿や声を見たり聞いたりしたことがなかつたからと云つて、之を以て、直ちに、前記三名の子等が前記物置内から前記毒ダンゴを持出さなかつた証左となすことは、採証の法則に照し、首肯し難いところであると云はなければならない。

(ロ)  被告は、前記物置は、農機具置場であつて、子供等には用のない場所であり、又、その中は、昼間でもうす暗く、無気味なところであるから、子供が物置内に入る筈はないと云ふ趣旨の主張を為して居るのであるが、子供は、案外に好奇心が強く、危険な場所や無気味なところには入つて見たり、のぞいて見たりすることがあり、又数人集まると時に意外な悪さをすることもあるのであるから、右物置が右被告主張の様なものであつたとしても、それだけの理由を以て、子供等がそれに入らないことの証左となすことは出来ないものであると云ひるから、右物置が右の様なものであつたとしても、前記認定を為す妨げとはならないものであると認められる。

(ハ)  被告は、右物置の中は右の通りうす暗く、当日朝、農具を取りに入つた長男盛広すら、前記個所に前記毒ダンゴが置かれて居たことに気付かなかつた程であるから、突然中に入つた子供等によつて、それが発見される可能性は殆んどなかつたものであると云ふ趣旨の主張を為して居るのであるが、子供は、前記の通り、案外に好奇心が強く、大人の気付かない些細なことにも気付くことが応々あるのであるから、右物置内の様にうす暗く、右盛広に於てすらそれがあることは気付かなかつたとしても、それを理由として、子供等によつてそれのあることが気付かれる可能性はないと判断することは、子供について屡々生ずることのある特殊な事態を無視する一般論であつて、採用し難い主張であると云はなければならない。

(ニ)  被告は、仮に、子供等がそれを発見したとしても、その置れた場所は、子供等の手の届かない個所であつて、仮に、その下にあつたコールタール罐をふみ台としたとしても、それを取出す可能性はないと云ふ趣旨の主張を為し、第一、二回の検証の結果によると前記毒ダンゴの置かれた個所が、子供が地上に立つたままでは手の届かない場所であることが認められるのであるが、右第二回の検証の際に為した実験の結果によれば、その下の中仕切り寄りにあつたコールタールの罐(その存在自体とその位置とは、右検証の結果によつて之を認める)をふみ台にすれば、子供でもそれを取出し得ることが認められ、子供にもそれ位の知慧のあることは、論を俟たないところであるから、被告の右主張は、右実験の結果と子供の知能的能力を無視するものであつて、主張としてその正当性のあることを認め難いものである。

(ホ)  被告は、仮に、子供によつて取出し得るものであるとしても、それを食物と誤認した以上、子供の心理上、その全部を取出すのが通常であるから、その一部を取出すと云ふことはあり得ない筈のものであると云ふ趣旨の主張を為して居るのであるが、前記子供等が前記部分を取出したのは、前記諸事実によつて、密かに、それを取出したものと認められるのであつて、その様な場合には、発見されない様にする為め、若干あわてたりするものであつて、一部取出すと云ふ様な事態の生ずることもあり得ることは、経験則の示すところであるから、被告の右主張は、経験則に違反するもので、正当性を有しないものであると認めるべさものである。

(ヘ)  被告は、子供等が皆川方を出て表道路の方に出て行つたのは午前八時頃であり、又、村越照子が子供等のジヤム・サンド様のものを食して居たのを目撃したのは、ほぼ同時刻頃であつて、子供等の右二つの行動の間には殆んど時間的間隔がないのであるから、その間に、前記物置内から前記毒ダンゴを取出すと云ふ様な時間的余裕は全くなく、従つて、右子供等が右毒ダンゴを取出すと云ふ様なことはあり得ないと云ふ趣旨の主張を為して居るのであるが、皆川方から出た時の子供達の数は四人であつて、その中の一人である鈴木悟が泣かされて帰つて来たのは右四人の子供が皆川方を出てから後、直ぐ帰つて来たのではなく、若干の時間的間隔を置いて後に帰つて来たものであると認めるのが、(証拠―省略)に照し、相当であると認められ、この事実によつて、右の点を見ると、右三名の子が皆川方を出てから前記毒ダンゴを取出し、之を食するまでの間には、若干時間的間隔があつたものと推認するのが之亦相当であると認められるので、その間に右毒ダンゴを取出す時間的余裕がなかつたとは云ひ難く、又、証人村越照子もその目撃した時刻を単に「八時過ぎ」と証言して居るに過ぎないのであつて、八時丁度とか八時一分とか云つた様な証言を為して居るのではないのであるから、同証人の記憶としても八時若干過ぎて居たものと認められ、更に、右証人等が、登校時間として、習慣的に定められて居た午前八時を基準として、その記憶を有するものと認められることは、その時刻に関する証言が相当の正確性を有するものであることを承認せざるを得ないものであるが、午前八時を基準として為されたその前後の時間は、その都度、特に、時計を見てその各時刻を記憶して居るのではないのであるから、右証人等の時刻に関する証言には、若干の幅があつたものと認定するのが相当であると云ふべく、従つて、右証人等の証言によつて認められるところの右二つの行為の間の時間的間隔は、被告の主張する様なものではなかつたと云ひ得るのであるから、その間には右毒ダンゴを取出す余裕がなかつたと断定することは相当でないと云はなければならないものである。

(ト)  被告は、被告が、前記毒ダンゴを埋没隠匿したのは所持禁止の毒ダンゴを自宅に持帰つて隠匿して置いたことに対する良心的奇苛責と母親としての苦悩と惑乱と更に農村婦人特有の閉鎖的退嬰的心理に基くものであつて、右毒ダンゴの一部が取去られて居ることを発見されることを防止する為めのものではなかつたと云ふ趣旨の主張を為して居るのであるが、真に、被告主張の様に右毒ダンゴに何等の異状もなかつたものであるならば、右毒ダンゴを埋没隠匿する必要などは毫もなかつたのであつて、事案の真相は恐らくそれによつて、直ちに、明かにされ得たであらうと思料されるに拘らず、被告は、それを物置に置いてあつたことを思い出して、それに異状があるかどうかを確めるや、直ちに、之を埋没隠匿したことが、被告本人の供述(第二、三回)によつて認められるので、それは恐らく、右毒ダンゴに異状があつたのを見て、之を発見されることを防止する為め、早急に埋没隠匿したものであらうと解釈されるのであつて、斯く解釈することは、経験則に照して、その相当性を認め得るものと認められるばかりでなく、被告が、前記増雄死亡後、訴外石井俊雄に対し、毒ダンゴを自宅に持帰つたことについて、口止めを為した事実のあること(中略)をも併せ考察すると、寧ろ、右の様に解釈するのが、事案の真相にそふものと思料されるところである。尚、被告が、右ダンゴを埋没隠匿したことは、本件に於ける事実の認定を困難ならしめて居るのであつて、この事実のあることと右口止を為した事実のあることは、本件事実の認定について、心証上、相当の影響のあつたことをここにそつ直に表明して置くものである。

九、更に、被告は、仮に、右三名の子が、右毒ダンゴの一部を食して嚥下したとしても、之を三名にて分配食したのでは、孰れも、致死量に達しないものであるから、それによつて死の結果が発生することはあり得ないところであり、従つて、右毒ダンゴの一部を三名で食し嚥下したことは、右三名の死の原因とはなつて居ないものであると云ふ趣旨の主張を為し、証人(省略)はその趣旨にそふ証言を為し、又、(省略)にはその趣旨にそふ記載があるのであるが、フラトールの人間に対する致死量については未だ定説のないことが右各証拠並に成立に争のない甲第二号証とによつて認められるので、致死量のみによつて、右三名の子の死因が、フトラールの嚥下による中毒死であることを否定することは不可能であると云ふべくしかのみならず、右甲第二号証と成立に争のない甲第三号証とによると、前記松子の死体に対する解剖所見とフラトールの投与による動物実験に基く解剖所見ががほぼ一致するところから見ると、右三名の子の死因は、フラトールの嚥下による中毒死であると判定するのが相当であると認められるので、被告の右主張は、理由がないことに帰着する。

一〇、而して、被告が、自宅に持帰ることを禁止されて居ることを知りながら、(中略)、毒物である前記毒ダンゴを、敢えて、自宅に持帰つたことは、それ自体で既に一の過失を構成するものと認め得るものであるところ、右毒ダンゴは、フラトールを含有し、人の生命身体に危害を及ぼす毒物であるから、之を自宅に持帰つた場合は、危険の発生を防止する為め、早急にその処分を為すべきであり、之を為さない場合は、之を持帰つたことを家族全員に知らせた上、それが人の生命身体に危険を及ぼす毒物であることを告げて、之を取出し若くは之に触れることを厳禁し、更に、右毒ダンゴはうす赤く着色されて居て、子供等は、之を菓子類と見誤り、之を食する危険があるのであるから、子供等が触れ若くは之を取出す危険のない場所に之を蔵置し、危険の発生を未然に防止する処置を為すべきであつたに拘らず、被告は、この様な点には何等の注意をも払はず、持帰つた毒ダンゴをそのまま自宅物置内の前記個所に漫然隠匿放置し、為めに、前記結果の発生を見るに至つたものであるから、右結果の発生については、被告に、過失があると断ぜざるを得ないものである。従つて、右結果の発生したことによつて生じた損害については、被告にその賠償を為すべき責任があると云はなければならないものである。

被告は、この点について、右物置は農機具等の置場であつて、危険な場所であるばかりでなく中は昼間でもうす暗く、為めに子供等の全く出入りしない場所であり、而も被告が右毒ダンゴを置いた個所は子供の取出不可能な個所であるから、被告が右毒ダンゴを右物置内の右個所に置いたことは過失とはならないものであると主張して居るのであるが、右物置は、子供等も出入し、又、右毒ダンゴは子供等に於ても取出可能な個所であること、前記の通りであるから、被告の右主張は、理由がないことに帰着する。

一一、而して、(証拠―省略)によると、原告金家両名は夫婦で、共に、他所に勤務に出、又、上の子は、皆学校に行き日中は、四女松子が殆んど一人で留守番をして居る様な状態であつて、右松子に対する監護等については全く、之を放置して居るに等しい状態にあつたものであることが認められ、このことが、右松子の不慮の死の一因となつて居るものと認められるので、右松子の死については、右原告金家両名にも過失があると云ふべく、又(証拠―省略)によると、原告鈴木両名は、その居住部落に於て、前記の日に、毒ダンゴを使用して野鼠の一勢駆除が行はれることを知つて居たと認められるに拘らず、その子等に、それについて、何等の注意をも与へず、このことが、右豊の不慮の死の一因となつて居るものと認められるので、右原告鈴木両名にも亦右豊の死について過失があると云はなければならないものである。但し、右原告鈴木両名の過失は、右認定の事情の相違によつて、原告金家両名に比し、その程度が一段低いものであると認めるのが相当であると認められる。

一二、而して右松子の不慮の死によつて、その父母である原告金家両名が、又、右豊の不慮の死によつて、その父母である原告鈴木両名が、夫々精神上、多大の苦痛を蒙つたことは、多言を要しないところであつて、その各苦痛に対する慰藉料の額は、その各職業、収入、家族の数、右松子及び豊の死亡時の年令並にその各死が不慮の死であること等を綜合し、且、原告金家両名及び原告鈴木両名に夫々、前記過失のあることを斟酌して原告金家両名に対しては、金二〇〇、〇〇〇円、原告鈴木両名に対しては、金三〇〇、〇〇〇円と算定するのが相当であると認める。従つて、被告は、右原告に対し、右各慰藉料の支払を為すべきである。

一三、又、原告金家両名は右松子の死亡によつて、その葬儀の費用として、合計金三六、四〇〇円の支払を余儀なくされ、同額の損害を蒙つたことが、(証拠―省略)に認められるので、被告は、右損害の賠償をも為すべき義務がある。

一四、以上の次第であるから、原告金家の両名の請求は、右損害賠償金二口合計金二三六、四〇〇円及び之に対する本件訴状が被告に送達された日の翌日であることが当裁判所に顕著な日である昭和三十三年九月六日からその支払済に至るまでの民法所定の年五分の割合による損害金の支払を求める限度に於て、又、原告鈴木両名の請求は金三〇〇、〇〇〇円及び之に対する右と同様の日であることが当裁判所に顕著な日である昭和三六年五月六日からその支払済に至るまでの右と同様の割合による損害金の支払を求める限度に於て、夫々、正当であるが、その余は、孰れも、失当である。

一五、仍て、原告等の請求は、右各正当なる限度に於て之を認容し、その余は、孰れも之を棄却し、訴訟費用の負担について、民事訴訟法第八九条、第九二条、第九三条を適用し、尚、仮執行の宣言は、之を附さないのが相当であると認められるので、之を附さないで主文の通り判決する。

千葉地方裁判所

裁判官 田 中 正 一

別紙第一、第二≪省略≫

自由と民主主義を守るため、ウクライナ軍に支援を!
©大判例